①“うつ病”…僕がなるななんて

2021年03月10日 10:50

忍び寄る闇

うつ病と初めて診断されたのはかれこれ12年ほど前だった。
思えばその数年前から兆候は出ていた。
少し遡って、その当時から書いていこうと思う。

当時、僕は整骨院開業に向け頑張っていた。
でも実は一年前に開業していたはずだった。
それを延期してのことだった…

なぜ一年も延期したのか…それは開業予定日が迫ってくるにつれ、色々とやることが決断できなくなってしまったからだ。 (異常なまでの優柔不断)

また原因不明の体調不良なども重なった。
とにかくそれまでの自分とは考えられないくらいの異常な状態が続き、本当に完全に参ってしまっていた。

現実主義だった自分でも、終いには

「何か運勢でも悪いのか?」

と考える様になってしまい、占いや霊視などに2〜3ヶ所で見てもらいにもいった。

そして、そこで

「今は開業する時ではない」

と言われた事や、また実際、体調も悪かったため思い切って一年延期することにし、それまで働いていた整骨院に再びお世話になることにした。

そうなると不思議なもので、体調もどんどん
元気になっていった。
【今思うと“開業する”ということに対して、
自分の体がSOSを出していたんだと思います】



そして一年が過ぎた頃、今度こそはと開業に踏み切った。
何かに急き立てられるように…

開業一日前にぎっくり腰になったり、開業程なく風邪なのか声が潰れてほとんど出なくなったりと、決して順調な船出ではないものの、表面的には張りきっていたのを思い出す。

ただ開業後も、
月日が経つにつれ、自分で院を経営しているにも関わらず、他の仕事をネット検索したり、田舎に移住する事をしょっちゅう考えたりと奇妙なことをよくしていた。
【心の底では当時の現状から逃げ出したかったんだろうと思います】

そしてそんな毎日が続き、僕の精神は知らぬ間にどんどん蝕まれていった…


精神状態が徐々に悪化していく中でも、表面的には
「仕事を頑張ろう」「自分には仕事が全てだ」「もっと繁盛させて成功しなければ」

と思っていたので、開業ニ年目に店の看板をより大きく目立つものにリニューアルしようと業者に発注し、デザイン等の打合せ始めた。

しかし、その辺からいよいよ目に見えておかしくなってくる。


何をやっても楽しくない。
夜もあまり眠れなくなる。
ぎっくり腰が頻発した後、動けなくなり救急搬送され入院となる。

いつも違う世界を生きている感覚……

そして決断力が著しく低下して、物事を決めるのに異常に時間が掛かるのは本当に困った。

これは例えば、看板業者とのやりとりでデザインが決まらず何度も変更をかけ、ついには業者が音を上げたり、

小さいことでは、目薬を買いに行ってどのメーカーにするか決められず、商品棚の前で一時間以上も迷ってしまう、といったふうに…

決断力というものがほとんど失くなってしまっていた。

そういった状態が日増しに酷くなっていき、
頭が思考がグルグル回って落ち着けない、じっと
していられない…


とにかく一日中、精神不安定の状態が続き始めた。

ついに看板取り付け予定日の前夜に症状がピークになり、過呼吸で呼吸困難のような状態になってしまった。
その僕を見かねた家族が看板の設置はひとまず中止して、「明日病院にこう」と言ってきた。

“ 僕は完全におかしくなっていたのだ ”



翌日、付き添ってもらい病院へ…
医師から言われたのは、

「仕事なんかしてる場合じゃない」

と即ドクターストップがかかり、うつ病の診断と休養を言い渡された。

それまで根性論で生きてきた自分には

「うつ病など、根性のない心の弱い者がなる病気だ」

くらいに考えていたので、自分が「うつ病です」と言われたときはショックだった。

しかしその反面、一連の不調の原因がわかった事と、「休め」と言われたことにホッとしたのを今でも覚えている。

そして看板の設置は保留にして、しばらく休養することになった。

初めて休む事を自分に許す

その後は“人生の緊張の糸”が切れた、とでも云うように、それからの3ヶ月間はほとんど動けなくなりほぼ寝たきりになった。

病院に行く時だけ家族に車で送ってもらうという生活だった。
それでも薬のせいか、精神も日が経つに連れ落ち着いてきた。

この3ヶ月は、メシ、風呂、トイレ以外はほとんど眠っていたと言ってもいいくらいむちゃくちゃ眠れた。

【初めて自分に休むことを許せたのかも知れません。なにか安らぎを感じたの覚えています。今思えば、消耗しきっていた心身を眠ることで回復させていたのだと思います】

その後、徐々に散歩も出来るようになるが、寝たきりだった体力の低下は予想以上で、
しばらくの間は少し歩くのも息が上がった。

そうして回復していく中、
信頼するカウンセラーの指導を受けつつ断薬(薬を止める)をしていく事にした。

当時の自分としては精神薬をやめたい気持ちが強くあったのだ。
【今でもこの時期での断薬はよかったのか悪かったのかは分かりません】

もちろん一般的に、医師の許可なく勝手に通院や薬を止めるのは危険な事であるのはしっていた。

しかし、当時いろいろな薬にまつわる良くない情報を多くネットで見ていたので、薬を継続服用する事にとても抵抗があったのだ。

また精神科医に対して、絶対の信頼を持てていない事も大きかった。
【この時の主治医は決して悪くは無かったんですが…】

そしてこの時の自分は「順調に病から回復し、
この経験を生かしてこれから俺のサクセスストーリーが始まるんや」
とよくある話を思い描いていたのを思い出す。

でも本当の地獄はこれからだった…

どん底の更に底

当時、接骨院を再開しよう(しなければならない)という思いはあるのだが、再開に向けての具体的な行動をしようとすると、なぜか心身が嫌がった。

その時は
「1年も休んでいた不安から来るもんで、思い切ってやれば後は勢いでいけるんやないか」
と思っていたが、でもやっぱりできないという現実があった。

やろうと思うのにやれない、家族や周りのプレッシャーなんかも感じているうちに、またうつ症状が出始めた。

“こうなると世界は一変し、一分一秒が苦しみと恐怖だけになる”

結局また病院を受診する事になる…

しかし今度は薬を飲んでも一向に変わらず、
オマケに副作用で体までしんどくなってしまい、医師と相談して精神科病院に入院することに決まった。
【症状は以前と同じなのに、同じ薬が全く効かないって??です】

でも本当に今考えても不思議な事は、あれだけしんどかったのに、入院1日目からかなり楽になったことだ。
【プレッシャーを感じる家族、家から物理的に離れ、環境がガラッと変わり呪縛から解放されたからでしょう。薬以上の効果でした】


そして入院後は、患者仲間とのいい出会い等もあり、毎夜、食堂で皆で話すのは楽しいひと時だった。それにつれ症状も軽減していった。

しかし一度、帰宅が許され練習として家に帰った途端、また状態が悪くなってしまう。

更に日が経つにつれ患者の顔ぶれも変わっていく等、居心地も悪くなっていった事に加え、
また退院したら“元の環境に戻るプレッシャー”から増々状態は悪くなっていった。

2ヶ月半後に退院する頃には、うつ病に加えて躁うつ病、不安神経症と医師から言われてしまう。




退院後も投薬治療は継続はしたが、その頃にはもう誰を信じていいかも分からなかった。

医師すら怖くなってしまい、
症状も楽にはなっていかなかった事、
病院が遠かった事、
の理由から違う病院に変わった。

しかし変わった先の医師は、診察時ほとんどパソコンの方しか見ないような人で、信頼感も全く持てず「薬だけもらいに行く」という感じで、良くはならなかった。
【今なら分かりますが、信頼関係のない治療など、土台上手く行くわけはありません】

そうしている内にまた家での寝たきり生活が始まる。

朝起きた瞬間から“夜睡眠薬を飲んで寝る事(唯一楽になる)”だけを、苦しみと恐怖の中で待つ生活が続いた。

文字通り「廃人」でした。

この世から消えたいと妄想する中、それさえ恐怖からできず、本当に辛い時期だったのを覚えている。

この間、妹に催眠療法の有名な先生のところにつれていってもらい、
何度か治療を試みたけど、その時の自分にはそれさえしんどくて無理だった。。





再び光が

そのような生活がさらに数ヶ月続いた…

そんな中で『運命からの救い』なのか、僕の頭の中でふいに(本当にフイに)

以前僕が元気だった頃にヒーリングの講習会で知り合った、
ヒーラーのMさんの存在を思い出した。

気がつくと、藁をもすがる気持ちでMさんに電話をしていた…

そしてこれが僕の長いうつから晴れる大きな切っ掛けとなっていく…
【僕が病み始めて5年、休業して1年半以上が経っていました】

それから約一ヶ月に一回、計3〜4回位ヒーリングセッションをしてもらったと思う。

一回目からうつの気分が楽になり始め、回を追うごとにどんどんうつが晴れていった。
このセッションでは一生分泣いた気がする。
【この時、Mさんから“とことん僕に付き合う覚悟”みたいなものを本当にヒシヒシと感じたんです】

最後のヒーリング終了後も、それでトントン拍子に社会復帰とはならなかったけれども、
少なくとも日常の生活が本当に楽になった。

【廃人から人に戻ったんです。
セッションでは親との関係にまつわる事を解放した事、更にその“親からの期待”“それを裏切る事への罪悪感”の解消から
もう自分の整骨院を閉める決断がてきた事が大きかったように思います】

その前は家でじっとしておれないくらい、苦痛と恐怖に一日中さいなまれていたけど、
ヒーリングを受け始めて変な表現だが、普通にひきこもれるようになっていった。

ヒーリング終了後も「必要なら連絡下さい」と言って頂いていたけど、それでも何故かこの後は連絡せず、さらに一年半が過ぎていった。
【この間も将来の不安や焦りはもちろんあったんですが、病的ではなく「ふつうに落ち着いて悩めた」ので日常は平安でした】


そしてようやく転機が訪れる。

「農家」と「農業をやりたい人」を繋ぐボラバイトというサイトを母の友人経由で知ることとなり、そこに思い切って申し込んでみた。
【おそらく母はなんとか僕に動いてほしいという思いから、
この情報を持ってきたと思います。当時の僕にはそれもプレッシャーでしたが、
こういった事が実際の後押しになったのは事実です】

以前Mさんからも
「農作業は生きる力を蘇らせる」
と聞いていた。

そしてこの後、実際に香川県の農園で一ヶ月間働いてみた。

今考えると、本当によく行けたものだと思う。

人は“きっかけ”があると(それが苦しいと感じる事でも)
なぜかやれてしまう事がある、、
これを運命からの呼び掛けというのだろうか…

とにかく数年ぶりに体を動かして働くのはヘトヘトになったけど、
徐々に生きる力が湧いてきたのは本当だった。

決して良いことばかりではなかったが、この一ヶ月の農業体験は大きな転機となった。


その後間もなく、これもまた運命なのか、、
もうやるつもりもなかった整骨院業への誘いが昔の友人から突然はいる。

悩んだ末に紆余曲折はあったが、その整骨院で働かせてもらうこととなった。


これによって僕の苦しかったうつ生活は終わり、
健康な心と生活を取り戻すことができた。
【病み始めてから7年、休業して3年以上が経っていました】


《ブログ②「つながれない…ひきこもるということ」へ続く》

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